・人気マンガ家が描いている「週刊マンガ日本史」がいいな。今売りの、藤原カムイの雪舟は良かった。マンガ家の卵や学生は、もっと古典原作でマンガを描かせないとダメだと思うけどね。特に学生は。教養も身につくし。若い時からオリジナルや自由課題にこだわると、あとでダメになる。最後は絵だけがうまい小手先だけのイラストレーターになる。古典原作を徹底的に描かせるだけで、描いているうちに、原作のどこに力を入れるかとか、本人の個性が次第に出てくる。「守破離」の守の段階だ。ようやく個性を見つけたら、そこから徐々に古典を離れて、個性を維持しつつオリジナルへ移動するればいい。マンガ教育している人は、そういう教育はできているだろうか。技術習得と古典を読めばっかりで、模倣はさせていないかも。初期段階に重要なのは模倣だ。オリジナルや自由を掲げるなら、梅原猛さんのような覚悟はしてほしい。
梅原猛は大器晩成型で、40過ぎまで単著はなかった。自ら著作集の自序に於いて語るところによれば、これは「処女作というものは頭の先からしっぽまでもすべて独創的であるべきだ」という自己の信念のためであったという。
そう簡単に、オリジナルに挑んでもらうと困る。まだ教養もほとんどついていない状態で、若い頃にオリジナルでデビューして、下手にちやほやされると、その教養のなさからあとで伸び悩む。教養のないものは、時代の変化とともに淘汰される。40前になって自分の作品は、普遍的でもなく時代のファッションみたいなものだったことに嘆く。
江戸の文学作品を翻訳して感じますことは、はたしてこの作品に普遍性があるだろうか、ということですね。江戸の作品でいちばん普遍性があるものは、芭蕉でしょう。江戸時代の文学は、やっぱり男性が書いた文学だったということです。男性は、周囲、つまり政治的あるいは社会的な問題とか、儒教的な問題を考慮し、それだけまた周囲に左右されて、結果として、現代もう通じないような考え方、場合によっては、現代もうわからなくなっている現象的なことをたくさん書きやすい。平安朝の文学の多くの傑作は、女性によって書かれましたね。そして男性の書いたものよりも、女性によって書かれたもののほうが普遍性があると、私は思うのです。平安朝の宮殿のなかに住んでいた女性は、ほとんど外の世界をしらなかった。だから内面的であり、本質的なことを書いた。(日本人と日本文化 司馬遼太郎・ドナルド・キーン)
そういうことにならないように若手作家を長い目で焦らず育てて欲しい。外の情報ばかり気にしていると、世の中の虚言に惑わされる。ゆとり世代とかさとり世代とか草食だとか肉食だとか。こういう話は聞かず、できるだけ外の世界は見ず、古典、哲学、人類学などを勉強して人間の普遍性を学んで欲しい。ホモ・サピエンス・サピエンスである限り、原始時代から今まで人間の内面は変わっていません。カニバリズムもそうだし。アーティストも同じだけど、つまらない流行的な作品は作らないように(売れるだろうけどね)。
— Nomad20xx.tv